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私の激動の1年
第38回社会保険労務士試験に合格しました、ヨシダ タカノリ(HN:槍の又左)と申します。
今年の社労士試験に至るまでの私の取り組み方・考え方を伝えることで、受験される皆さんが自分自身の勉強方法を確立する何かのヒントになれたらいいなという思いと、自信を付けてもらいたいという思いから合格体験記の執筆依頼を引き受けました。拙い文ですが、しばし御付き合いください。 @使用した参考書
A受講した講座
B私が拘った点
T:手当たり次第に参考書は買わない
買ってもどうせやらないし、買ったものを消化しないことで余計なプレッシャーをかけたくなかったからです。選んだ本を何回もやりぬいた方が自分のデータ(弱点という意味です)を把握しやすいと思いました。
U:過去問を重視する
過去に合格された先輩方が口を揃えて『過去問が重要だ』と言われていますが、まさにその通りだと思いました。出題される論点は表現等を変えて何度も出題されていますよね?1問1答集で出題項目を見ると一目瞭然。これ程はっきりしたデータはありません。出題されやすいところから潰していく。きちんと潰すことができたなら、合格に一歩も二歩も近づける。そう考えて、闇雲に問題を解くことだけは避けました。余裕があったら、出題頻度が低いところに手を回せばよいというスタイルを貫き通しました。
V:マーカーは極力使わない
受験生の立場ではどこが重要なのか分かる筈がないから。『ここが大事だよな』と、勝手な思い込みでマーカーばっかり使っていると、ホントに重要な箇所が分からなくなってしまう。自分の勝手な思い込みで、実際は重要ではないところ(試験に出題されにくいという意味)に時間を費やしてしまったら、非効率だと思いました。それに、マーカーばかり引くと、ごちゃごちゃして、読みにくくなってイライラの原因にもなってしまう。そう思ったので、私は極力マーカーを使いませんでした。
その代わり・・・
過去問などアウトプットの練習をして、間違ったところは基本書にシャーペンでアンダーラインを引くことにしました。鉛筆なら一度引いてしまっても、いずれ(直前期頃という意味)必要ない箇所(実はそれ程出題頻度がなかったところという意味)を消すことが可能ですからね。何度も何度もアウトプットをする度に鉛筆で引いていくわけですから、基本書にはハッキリと自分の弱点や重要なところが浮き彫りになる。その時点で初めてマーカー等を使いました。シャーペンで何度もアンダーラインが引かれているところこそが、自分の弱点であり、重要箇所であることが非常に高いというのは言うまでもなく、直前期にはそこを重点的に潰していきました。
W:解答根拠を記録する
問題を解く時に必ず、解答に至った理由を書き記していました。私の場合は、必要なくなった紙を解答用紙に使っていたのですが、まずはそこに全ての解答根拠を簡潔に書き込みました。例え解答が合っていたとしても解答根拠が間違っていれば不正解とみなしました。受験期の前半は正解云々よりも思考過程の特訓時期ですからね。
次に、間違った問題への対策として、『間違いノート』というものを準備しました。これがやたらと手間がかかりました。
しかし・・・。
間違えるところは大体同じようなところを同じような勝手な解釈であることが多い。その誤った考え方を修正するにはどうしても必要な作業でした。失敗を目に焼き付けさせたかったのです。直前期はさすがに時間が無くて、間違いノートには転記しませんでしたが、答練などの解説のところにチェックだけは入れていました。1番辛い作業だったけど、この積み重ねで、知識の定着が図れたと思っています。
X:データを有効活用
インプット時期が終わると、いよいよ答練等の時期です。
その際に、個人成績表が手渡されるかと思います。順位や得点などに一喜一憂をするに終わらず、1問1問の全体の正解率に着目しました。
私は全体の正解率を単純に4つの区分に分けました。
返却された個人成績表の中にA・Bランクで間違った問題があったとしましょう。単純計算ですが、自分の取った点数にこの間違ったA・Bランクの問題を正解できていたと仮定し加点してみると、間違いなくトップクラスの成績です。ならば、A・Bランクの間違った問題をマスターしちゃえばいい。人それぞれ苦手分野は違うわけで、自分が得意であっても他人には苦手だったりする(その逆もありますよね?)。それを知らせてくれるのが答練や模試なのです。他の人が知っていることは確実に覚え(暗記しろということではありません)、正解率が低いようなものは知らなくてもいい。現行の社労士試験での原則からすれば、間違ったA・Bランクを全て潰すことができたなら、かなりの確率で合格できると思いましたから。そう考えれば、社労士試験に合格できるという希望や確信が持てるのではないでしょうか?直前期ほどポジィティブ・シンキングは非常に大事です。
ただし、意識して気をつけたことがあります。答練等の実施時期が早い答練のデータを過信しすぎてはならないという事です。時間が経てば、合格したい受験生は間違った問題を確実にマスターしていますからね。最初の時点でCランクぐらいの正解率であったとしても直前期にはBランクぐらいの正解率であるかもしれない。ですから、古い答練ほど、最終的にはCランクまで目を配りました。直前期の答練等の正解率のデータほど信憑性は高いと考えて学習しました。
C勉強方法
11月〜4月
当然のごとく、基本書の読み込みをしました。最初は科目ごとに軽くサラッと読むことにしました。何故なら、1回で全部分かるわけがありませんから。分からないものを分かろうとして無駄に時間を費やしたくありませんでした。サラッと読んだら、過去問の1問1答集を解くように心掛けました。アウトプットの訓練を早い時期から癖付けておけば直前期で慌てなくても済むと思ったからです。読み→アウトプットを何度も繰り返しました。その他に、私は年金がとても苦手なので『年金がアッという間にわかる本』を何度も熟読することにしました。社労士試験は苦手教科があると苦戦を強いられるからです。苦手克服が合格への鍵。耳にタコができるぐらいよく聞く言葉ですが、肝に銘じました。
5月〜直前期
上記BのXを意識してアウトプット→インプットの繰り返し。勿論、選択式対策も忘れずにやりました。7月から試験前までは過去問を更に絞って確認したかったので、『まるわかり社労士 1問1答』を使用しました。
D真島社労士塾の公開模試
公開したくない点数です(苦笑)。公開模試前日に他社の答練を受け、ものすごく出来がよかったのですが、真島社労士塾の公開模試でおもいっきり叩きのめされました(笑)。模試開始数時間前とうって変わって、終了後はかなり気分がブルーでした。直前期で択一式が40点を切ってしまったからです。真島先生に認めてもらえるように準備してきたのに、総合順位も半分以下でした。『カッコつかないなぁ。それに、これはやばい。やばすぎる。何がいけなかったんだ?』と思い、帰宅してすぐに真島先生のテープの解説講義を聴いてみました。しかし、更にブルーになりました。
『これは基本ですよね?』という真島先生のお言葉。その基本事項をようさん間違えていたのです。本当にやばいなと思いながらも、例の単純計算をしてみました。結果は、やはりトップクラスに入っていました。ならば、話は簡単。A・Bランクを潰す学習をすればいい。そう前向きに考えることで、自分を奮い立たせました。他社の模試でそれ程悪い点を取った事のなかった(点数が安定していたという意味)私には、この真島社労士塾の公開模試は非常に質のよいカンフル剤となりました。今思えば、この模試でかなりヤバイ点数を取ったからこそ、刺激となってラスト.スパートをうまくかけることが出来たのかもしれません。
E社労士試験中の心理状態&エピソード 午前中の選択式
いつものように労基・安衛から解いていきました。でも、難しく感じたので、例年簡単な労災でリズムを取り戻そうと考えたのですが、瞬時に頭が真っ白になりました。仕方が無かったので、雇用保険から解いたのですが、その負の心的影響が得意の雇用保険を解いている時にも自信がなくなりまして・・・ 。精神状態は最悪でした。『ダメかもしれない』と、何度も思いました。 残り15分までに何度か文章は読んでいたけれども、労災・社一にはマークを躊躇していました。 でも、どうしても受かりたかった私は『俺が分からないんだ。他の人だって分からないに決まっている。救済に頼りたくはないけど、この試験には救済措置がある。この問題なら救済だってありえる。俺の実力ならば絶対に合格できる。だから、最後までやってみよう。』と奮い立たせ、なんとか乗り切りました。でも、選択式終了後の私の心境は、『社一はともかく、労災は全く自信がない』でした。 昼休み
まずは、気分を落ち着かせようと思いました。真島先生がアドバイスされたように昼食を買っておいたので、早めに済ませ、今まで受けてきた答練等の成績表を眺めたのです。答練の結果なんてあてにならないでしょうが、その日の私はあてにしたかった。最終の答練でA判定を取っていたので、自信を持たせたかったのです。
でも、ただ眺めていてもバカなので、ある程度落ち着いたらA・Bランクで間違った問題だけ確認し直しました。 そのようにして、午後の択一式に臨みました。 午後の択一式 少し落ち着いたけれども、やはり午前中のショックを引きづっていたのでしょう。いつもより、慎重に時間をかけました。
時間をかけたというより、時間がかかったと言った方が正解かもしれません。とにかく、そのような状態でしたので、さすがにヤバイなと思いました。『ペースをあげなきゃ!!』と思ったものの一般常識が全く手付かずの状態で残り10分となりました。絶望状態です。マークもしなきゃいけないから、1問につき1分以内で解かなきゃならない。1つの枝も10秒以内で判断しなくてはならない。当日の他の教科の解くペースでは絶対に間に合わない。このような状況、過去の自分なら諦めていたかもしれない。 でも、私は今回の試験に命をかけていた。だから、諦めたくなかった。
気持ちを奮い立たせるために、教室から見える新宿の高層ビルを眺め、こんなことを考えていた。
『全部は読めない。でも、この問題の中には答えは一つ。もう解くしか道はない。残り10分なんだ。この絶望的な心理状態の中でベストを尽くしての悪い結果なら甘んじて受けよう。実力不足としか言いようがないのだから。でも、まだベストを尽くしていないじゃないか!!2〜4月までのスランプの時に比べればよっぽどマシじゃないか!!6月から敢行した遠征の苦労に比べればよっぽどマシじゃないか!それなのに、ここで負けるのか?それでいいのか?それは絶対に嫌だ。負けてたまるか!!こんなことで負けてたまるか。負けたくないなら最後までやれよ!!』と。 ホンマに必死やったと思います。 残り10分。今もこの残り10分だけ記憶がありません。でも、言えるのは自分でも信じられないほどの神がかり的な集中力を土壇場で発揮できたということ。試験が終了し、しばらくしてから答え合わせをした時にそれは判明。悪あがきなりにも全部ではありませんが、今まで1回もできなかった速読をしていた形跡がありました。枝ごとに正誤判定をしていたのです。しかも、問題の一般常識は6点も取れていた。残り10分で6点です。皮肉なものですが、40分もかけた労基・安衛より取れていました。あの時諦めていたら、私の結果は間違いなく違うものになっていたことは明白です。 F最後に 人間だから中だるみすることもあるかと思います。しない方が奇跡かもしれない。でも、そんなときこそ勝負ですよね。
上記のEで書きましたが、私は気持ちの面で2月から4月はホンマにスランプでした。事情がありまして、いきなり1月末に都内を撤退し、環境がおもいきり変わった中で勉強をしていました。なので、仕方がなかったかもしれません。 でも、さすがにGWになった頃には『このままでは本当にヤバイなぁ』と思いました。この時期から本格的に気持ちのスランプから脱出する努力をしました。特に6月からはハードでした。都内や仙台で答練・模試の遠征を敢行したのです。勿論、真島社労士塾の公開模試もその遠征の1部でした。 田舎には同志がいないし、都心での生活スタイルに慣れきっていた私には急激な生活環境の変化にどうしても慣れる事ができず、モチベーションがあがらなかったのです。だから、答練・模試の遠征という荒治療を考え、実行しました。『必死な同志達を目の当たりにして、モチベーション上げて合格できるならば金なんて惜しくない。これでモチベーションが上がらなかったら俺は救いようのない大バカ野郎だし、俺の人生はこれから先、いいかげんなものになるんだろうな。』と思って実行しました。でも、この荒治療は大成功。余りあるモチベーションを手に入れる事ができました。その勢いで最後まで突っ走ることが出来ました。 私は、資格取得を本気で目指して試験に臨んでいれば、受験生の実力はそれ程差がないと思っています。そう考える方が自然だと私は思っていましたし、今でもそう思います。
それでも、合否は分かれてしまう。何故か?最後に諦めてしまうか、諦めないか?自分の実力を信じられるか信じられないか?最終的にはそれだけの違いではないでしょうか?
先に試験に合格された先輩方には今回の選択式問題のことで色々と批評されている方もいらっしゃいますが、まさに試験真っ最中という独特の緊張感の中で戦っている人でなければ、今回の試験でほとんどの方が懐いたであろう絶望とも言えるあの時の感覚は分からないと思います。『分かってたまるか!!』という気持ちすらあります。ほとんどの方が今回の試験で動揺されたことでしょう。弱気になったことでしょう。でも、最終的には自分との戦いです。モチベーションが高かった私は諦めなかった。そして自分を信じた。これが私の勝因です。 来年の合格に向けてみなさん必死やと思います。直前期にはみなさんの実力は拮抗していることでしょう。焦ることもあるでしょう。そんな時こそ、今までのモチベーションを下げず、諦めず、そして、自分の実力を信じてください。
ベストを尽くしてください。そして、是非とも合格発表日に最高の瞬間を味わってください。
人生最大の激動の1年だったけど、合格した今、非常に清々しいです。昨年が人生最悪の年だっただけに、合格したことを知った瞬間は勝手に涙が溢れてきて止まりませんでした。ハードな6月からの模試・答練の遠征も今となってはいい思い出です。真島先生をはじめ、スタッフの皆様、出版社の皆様、最後まで励まし応援してくれた家族や友人、遠征の時に快く色々と協力してくれた親友達、そしてライバル達の存在。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
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| 以上 |