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○ステイゴールドと『リプレイ』 2001年10月7日。京都観光の途中で足を伸ばした京都競馬場。その日のメインレースは、この秋のG1戦線を占う上で重要なステップレース、第36回京都大賞典G2。出走する有力馬は三頭、現役最強馬のテイエムオペラオー、菊花賞馬ナリタトップロード、そして私の本命馬ステイゴールド。 ステイゴールドは、父サンデーサイレンス母ゴールデンサッシュの小柄な牡馬で、1997年の菊花賞以来長く重賞戦線で戦ってきた競走馬でした。その間G1で4回も2着をとっていながら下級の重賞にもなかなか勝てず、2000年の目黒記念G2でやっと重賞初勝利。それ以降もG2の勝ち星を二つ増やしたものの未だにG1の栄誉に輝くことなく、今シーズン限りでの引退が決まっていました。この日の鞍上は若手の実力派ながらこれまたG1勝ちのない後藤浩輝。 レースは最後の直線、並んで走るテイエムオペラオーとステイゴールドの間にナリタトップロードが挟まれまれる形。三頭の中ではステイゴールドの脚色が一番よく見えて、G2の舞台とはいえ現役最強馬に勝てるかもしれないと思ったその時、ステイゴールドは外にもたれ、行き場を失ったトップロードが立ち上がって騎手が落馬。最後はステイゴールドがオペラオーを交わしてゴールしたものの、掲示板には審議のランプがともりました。 私は、ステイゴールドの単勝を手に審議の結果を待ちました。結果は失格。繰り上がりで一着はテイエムオペラオー。落馬した騎手は軽傷だったものの、ナリタトップロードは落馬の影響で次戦の天皇賞を回避することになり、後藤騎手は6日間の騎乗停止処分を受けました。 上手くいかない時には、ついついあの時こうしていればと考えてしまうもので、この時も、「ああっ、この結果を知っている今の状態で発走前の時間に戻れたら」と益体もつかないことを考えていました。そんなことを考えている時にいつも思い出すのが、学生時代に読んだケン・グリムウッドの『リプレイ』でした。 この小説の主人公はラジオ局のニュースディレクターなのですが、職場で妻と電話している最中に死んでしまいます。しかし、気が付くと学生時代の寮にいて自分の肉体は18歳。自分が時間を遡ったことを知った彼は、あらかじめ結果を知っている競馬や株で金を儲け大成功しますが、前回の人生で死んでしまったその日にまた死亡してしまいます。そして、目が覚めてまたやりなおし。 もちろんそんなことがこの身に起こるはずもなく、私は、紙屑となった単勝馬券を未練がましく財布に入れて競馬場を後にしました。 ステイゴールドは、その年の暮れに、ついにG1をとれないまま最後のレースを迎えました。場所はシャティン競馬場。香港ヴァーズ、2400メートルのG1レース。鞍上には天才武豊。 結果、彼は現役最後のレースで初めてG1優勝馬となり、競馬ファンの多くがその姿に拍手を送りました。 これは、私が社会保険労務士試験に挑戦して2回目の秋から冬に掛けてのこと。その年の試験も私は不合格し、結局合格を勝ち取るまで、あと四回の受験を必要としました。 通算して六回。その間私は、『リプレイ』の主人公のように、同じ試験を繰り返し受け続けました。 ○「たった一人のオリンピック」とわかる社労士 山際淳司は1948年生まれのノンフィクションライターで、1981年、作品集『スローカーブを、もう一球』で日本ノンフィクション賞を受賞し、その後も数多くのスポーツノンフィクションを発表し続けましたが、1995年、46歳で夭折されました。 その受賞作品集である『スローカーブを、もう一球』の中に「たった一人のオリンピック」というボートのシングル・スカルの選手を扱った作品があります。 平凡な学生だったその選手が、挫折感故に漫然と流されている自分自身を救いたいと考え、ある日突然オリンピックに出ようという思いつきを得る。一人の若者が普通の生活から道を逸れて遠大な計画に身を投じていく様が、本人の証言と作者の冷静な観察眼で描かれています。 社会保険労務士の資格を取得すると言うことは、普通の生活から逸れてはいないし、一般的に言って遠大な計画でもありませんが、何某かの変化を求める人間にとっては、十分魅力的なことで、それをふっと思いつくことは重大な契機になり得ると思います。 前述の選手は、思いつきを実現していくために自分の適正と選手層の薄さからシングル・スカルに辿り着き、大雑把ながらもプランを立て、挫折しても挫けずに修正し、コーチも後ろ盾もないまま自ら研究した練習法と創意工夫で目標に向かっていきました。 社会保険労務士試験に挑んだ最初の三年間、私は独学で勉強し、試験自体の傾向も通り一遍しか知らず、大雑把なプランを立て、挫折したら意気消沈し、不完全な理解のまま暗記型の勉強に終始し、焦りに裏打ちされた効率の悪さで目標に向かっていきました。 独学で難しい部分は、単純に考えても法改正や白書の対策、問題の傾向を把握して学習に濃淡をつけること等々。 3回目の試験に落ちたことで、私はやっと独学の限界を悟りました。 ここまで来たらなにが何でも結果を出さなくては終われない。そう考えていた私は、通信講座を受けることにしました。 選択したのは真島先生の講座。 丸暗記ではなく理解することで記憶する。そもそもの法律が出来た趣旨を知る。改正の経緯やその意味を知る。法律相互の役割を知る。独学の時にも法律を理解するという考え方は頭にありましたが、実際に取り組むとなるとなかなか難しく、膨大な量の試験範囲にばかり気を取られ、直接点につながりそうに思える記憶作業に忙殺されて、おざなりにしていました。 通信の講義をテープで聴く行為は、勉強に取り組む上での自分の中の優先順位を組み替える作業でもありました。 ○睡眠不足とはずれ馬券 独学から通信講座への切り替えにより、私の社労士試験への理解は上がりました。 その結果は形となって現れましたが、4回目5回目ともに1点に泣き不合格となりました。毎年の結果に、いろいろと思ったこと考えたことはあります。それは独学で受け続けた時期からずっとです。ただ結論として、私は6回目の試験にもトライすることにしました。 6回目の試験の前日、私は緊張してよく眠れませんでした。横になって目をつぶるのですが、なかなか眠りに落ちていかず、試験当日を寝たような寝ていないような何とも微妙な状態で迎えてしまいました。 一年に一度の勝負故に、私のような寝不足に限らず緊張したり体調が優れなかったり、多くの人が平常とは違う状態で試験を受けていることと思います。特に午後の試験は三時間半の長丁場で、しかも問題は七十問。一番つらい時間帯です。 今回の試験、私は眠気と闘いながらその三時間半を過ごしました。 実は私の財布の中には、京都大賞典のはずれ馬券がまだ入っています。「2001年4回2日京都11レース第36回京都大賞典単勝式6ステイゴールド」 試験当日も、財布の中にはそのはずれ馬券が入っていました。 私は、疲れた頭に何度か、ステイゴールドの姿を浮かび上がらせました。 あの最後の最後でやっとG1に手が届いたラストラン。直線では先頭の馬に大差で離され、いつもの悪癖を出して外にもたれようとし、何とか体勢を整えるもゴールはどんどんと近づき、それでも諦めず人馬一体となって一完歩また一完歩。 私は、ついに先頭でゴールしたステイゴールドに感動して、財布の中に入れてそれっきり忘れていたはずれ馬券を、お守りに昇格させていました。 長時間の試験に息切れしそうになったとき、あの直線のシーンを思い浮かべ、気合いを入れ直して何とか最後まで乗りきりました。 実は試験の終了時まで試験会場にいたのは、今回が初めてでした。いつもは、再考の余地ありとして印を付けた問題を再度検討し、全問をざっと読み返しながらマークシートを確認。お約束の名前と受験番号の確認。その後またマークシートと解答を、と必要な手順を済ませても退室禁止の時間まで多少の余裕があったので、そこで手を挙げて退室するのが常でした。 しかし、今回は意味があろうとなかろうと絶対に退室しないと試験の前から決めていました。 結果、6回目にしてやっと、私は合格することが出来ました。 ○おわりに 最後の最後に悲願のG1を海外のレースで制したステイゴールドは、引退した2001年のJRA賞で特別賞を贈られました。 京都大賞典でステイゴールドに騎乗していた後藤騎手は、翌2002年、アドマイヤコジーンで臨んだ安田記念でG1初勝利を挙げました。 『リプレイ』の主人公は、繰り返す人生の中で様々な経験をしていきます。しかし、死んでは生き返りを繰り返していくうちに、段々と遡る時間が短くなっていき、ついには死んだ瞬間に戻ってしまいます。長い間死の苦しみを繰り返し経験した後、彼は覚醒し、自分が死んではおらず自分の人生が過去に戻ることなく再び前に進み始めたことに気が付きます。人生の繰り返しを経験した彼は、『自分の人生は自分の責任であり、自分だけのものだ。』と考え『可能性は無限だ』と言うことを知ります。 先述のボート選手は、五年を掛けてついにオリンピック代表に選ばれました。しかし1980年、日本はモスクワオリンピックのボイコットを決定し、彼のオリンピックへの夢は露と消えました。山際淳司は、彼のボートに賭けた年月について『一つのことに賭けたのだから、彼の青春はそれなりに美しかったのだ、などとはいえないだろう。』と述べています。 私は失敗と惜敗の果てに、特に大きなことを為し遂げたわけではなく、資格試験に合格しただけです。それも、小説の主人公のように繰り返しの中でいろいろな経験を重ね自分の可能性に触れたわけではなく、同じ失敗を繰り返して辿り着いたもので、そこに掛けた時間の価値は、これからこの資格を生かしていく中で問われることになるのでしょう。 とはいえ、今回の試験に合格した私は、素直にそれを嬉しいと感じていますし、やり遂げた充実感も感じています。この現在の気持ちと掛けてきた時間が、しっかりとした自分の力になるように、これから頑張っていきたいと思っています。 参考書籍 ケン・グリムウッド著 杉山高之訳 『リプレイ』 新潮社 山際淳司著 『スローカーブを、もう一球』 角川書店 |