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<速読こそすべて>

きつねのイラスト速読こそすべて(5)


第1章 理論編

 それでは、「理論編」として、「速読は頭を良くする薬である」との仮説を、論理的に証明していきましょう。

T 頭が良いとはどういうことか
 「速読は、頭を良くする薬である」。この仮説の意味は、速読と「頭が良くなる」ことには相関関係がある、ということです。そこでまず、「速読」と「頭が良い」という概念おのおのについて正確に把握しておくことが必要です。速読の定義はすでに序章でご説明してありますので、ここでは「頭が良い」とはどういうことかを考えていきます。

1、“ヒト”と“サル”の違い
 「頭が良いもの」の例として“ヒト”、「頭が悪いもの」の例として“サル”をあげます。
 “ヒト”と“サル”の違いは何でしょうか。“サル”は、類人猿いう呼称が示すとおり、限りなく“ヒト”に違い容貌を持っています。あなたも、動物園の“サル”を見て、「知り合いのおじさんに似ているな」と思った経験をお持ちのことでしょう。
 “ヒト”の祖先が“サル”であるというのは間違いで、“ヒト”と“サル”は共通の祖先を持つ仲間である、が真実であることを、われわれは学校で習いました。まあ、そんな難しいことを言わなくても、見た目でわかるように、“サル”が“ヒト”よりも体毛が多い点などを別にすれば、身体的特徴の違いはほとんどありません。
 しかし、現象面に目を向けてみれば、“ヒト”と“サル”の違いはあまりにも明白です。“ヒト”は文化を持ち、道具を使いこなすことを覚えました。さらに、新たな道具を作りだすこともできるようになり、作りだした道具で月に行くことすら実現しました。一方“サル”はといえば、道具を使うことはかろうじてできますが(道端に落ちている石を使ってくるみを割るなど)、それ以上のことはできません。文明を生みだす力などあろうはずもなく、結果、数万年前と同じような原始的な生活を強いられています。
 この歴然たる違いを生みだしたものは何でしょうか。その原因となった“ヒト”と”サル”の相違点が、何か必ずあるはずです。
 それは言葉です。“ヒト”は言葉を持っていますが、“サル”は持っていません。もちろん、“サル”も原始的な言葉は持っていますが、“ヒト”のそれには遠く及びません。言葉を持つか持たないか、この違いが、数万年の間に、“ヒト”と“サル”の間に、決定的な差をつけてしまったのです。
 ここで一つの事実を提示します。次に、その事実の証明を試みます。「言葉を持つ“ヒト”は頭が良く、持たない“サル”は頭が悪い」
 なぜ、「言葉を持つ」ことが、「頭が良い」こととイコールなのでしょうか。
 「頭が良い」とは、ものを考える能力があることを指します。ものを考える能力があれば、現状を的確に分析し、分析結果に基づいて確実な将来計画を立てることができます。必要な道具がなければ、「なければ作ってしまえばいいのではないか」と考える、これがものを考える能力です。そのようにし“ヒト”は、文明を生みだしてきたのです。
 ところで、ものを考える能力のあるなしは、何で決まるのでしょうか。その答えは、あなた自身がものを考えている状態を想像してみると、すぐにわかります。“ヒト”であるあなたは、言葉を使ってものを考えるのではありませんか。あなたが日本人であると仮定すれば、あなたは頭の中で日本語を使ってものを考えているのではありませんか。
 そうです。ものを考える能力は、言葉がもたらすものなのです。
 “ヒト”は言葉を持ち、言葉を使ってものを考えます。ものを考える能力がある、すなわち「頭が良い」からこそ、高度な文明を生みだすことができたのです。“サル”はといえば、言葉を持たないためにものを考える能力がない、すなわち「頭が悪い」ために、数万年前と比べてなんら進歩なく、相変わらず原始の不便な生活を強いられているのです。
 これで、“ヒト”は頭が良く、“サル”は悪い理由がわかっていただけましたよね。その秘密は言葉にあったのです。

ヒトとサルの違い
          相違点 相違点がもたらす結果
ヒト 言葉を持つ 頭が良い 文明を生みだした
サル 言葉を持たない 頭が悪い いまだに原始の生活

2、頭の良い“ヒト”と悪い“ヒト”の違い
 論を進めます。”ヒト”と“サル”の違いはわかったのですが、ところで、同じ“ヒト”であっても、頭の良い“ヒト”と頭の悪い“ヒト”がいるのはどういうわけでしょうか。
 この答えは、これまでの説明から明らかでしょう。頭の良しあしの基準が言葉にあるのですから、頭の良い“ヒト”と悪い“ヒト”との違いは、「言葉のレベル」にあるのです。レベルの高い言葉を使える“ヒト”は頭が良く、一応言葉を持ってはいるけれどレベルの低い“ヒト”は頭が悪い、なんと当たり前の理屈でしょうか。
 あえて大胆に言ってしまえば、頭の悪い“ヒト”は“サル”と大差ありません。行動は常に場当たり的なので失敗ばかりします。失敗を成功につなげるだけの知恵もありませんので、いつも同じ失敗を繰り返し、いつまでたっても進歩がないのです。数万年間の“サル”の歴史がそれを証明しています。
 “ヒト”でありながら頭が悪いのは、「言葉のレベル」に問題があるのです。これを逆から言えば、ある重大な事実が明らかになります。すなわち、
言葉のレベルを向上させれば、頭が良くなる

3、言葉のレベルを向上させるには
 われわれの目的は、頭を良くすることです。そのためには、言葉のレベルを向上させればいいことが明らかになりました。これからは、言葉のレベルを向上させることだけを考えていけばいいわけです。
 それでは次に、“言葉のレベルが高い状態”について考察してみましょう。最終目標を先に確認しておけば、到達までの道のりも自然に見えてくることでしょう。話をわかりやすくするために、“言葉”を“日本語”に置き換えます。「日本語のレベルが高い」とは、どういう状態を指すのでしょうか。
 「日本語のレベルが高い」とは、次の3つの条件をすべて満たした状態です。
@語彙が多い
A良い文章をたくさん知っている
B豊富な語彙、良い文章を論理的に並べる能力がある
 @の語彙が多いことは当然です。知っている単語の数が少なければ、自分が表現したいことを的確に言い表わすことができません。Aは次元的には@と同じで、良い日本語の表現をたくさん知らなければ、良い文章を書いたり話したりすることはできません。Bは単語や文章をうまく並べ替え、論理的な文章を書く能力です。随筆や詩などは別として、自分の考え方を他人に伝える手段として言葉を使うとき、どうしても必要な能力です。

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