真島社労士塾トップ > 社労士開業への道 > 社労士開業への道(2) 真島社労士塾

どうすれば成功できるのか
社労士開業への道(2)ロゴ(2)

運命には従うべき
 前号では、私と社労士資格との出会いについてお話ししました。原稿を書きながら、「我ながらドラマティックなだなぁ」などと感慨にふけってしまいました。
 私が社労士の道を志すようになったのは、もちろん鈴木君との出会いのおかげです。しかし、今になってよく考えてみると、そればかりではなく、"タイミング"が大きく作用していたように思います。
 私は社労士資格のことを、鈴木君と出会った28歳のときに知りました。ときどき酒を酌み交わしながら、彼は社労士の仕事について語ってくれたものです。
 しかし当時の私は、「へえ、そんな仕事もあるのか」とは思いましたが、だからと言って、「では、自分もやってみよう」とは考えなかったのです。そんな私が、結局社労士の道を志すようになったのは、次のようないろいろな要素が同時に起きた"タイミング"のおかげです。

  1. 彼が予定通り30歳のときに独立を果たし、私に開業案内を送ってくれた(私のことを覚えていてくれた)。
  2. 私は、転職した会社の仕事がつまらなくて、「他の道はないか」と漠然と考えていた。
  3. 私が、彼の開業案内を見て、彼の事務所まで足を運んだ。

 つまりは、今、私が社労士の仕事に就いているのは、数々の偶然が同時に起きたという神のいたずら以外のなにものでもないわけです。
 しかし私は、人生というものは、数々の偶然が生んだ"必然"によって道が決められるのだと考えています。その時々に起こる事象は確かにすべてが偶然ですが、数多くの偶然の積み重ねによって"今"が必然的に決められるのです。
 人は、生まれてきたことがまず偶然です。あの小学校に通ったのも偶然ですが、その後あの中学校に通ったのもまた偶然です。しかし、あの小学校に通わなければ、あの中学校に通うことはなかったかも知れません。"あの小学校に通った"という偶然が、"あの中学校に通う"という必然を生んだのです。
 人生では、実に多くの偶然に遭遇します。あらゆる偶然が相互に複雑に作用し合った結果として、必然的に"今の自分"が形づくられているのです。
 なぜこのような哲学的なことをわざわざ言うのかというと、鈴木君の勧めに従って受験勉強を始めた当時の、私の心境をお伝えしたいからです。
 私は、己の社労士資格との出会いを、"運命"と考えました。自分が社労士資格と出会ってその道を志すようになったのは、偶然の積み重ねによる奇跡としか言いようがないものです。
 私は、「神がこの仕事をくれたのだ」と思うことにしました。「自分にはこの仕事しかない、何が何でも試験に受かって、社労士として生きて行く以外、道はないのだ」と自分自身にマインドコントロールをかけたのです。
 この発想が大事だと思います。受験勉強も合格後世に出てからも、「何が何でも合格・成功する」との強い意気込みが何よりも大切です。
 「絶対に合格する」と決めている人は絶対に合格しますし、「絶対に成功する」と決めている人は絶対に成功するものです。少しでも弱気になった人には、世間はすぐに背を向けます。自分を信じて必死になってがんばれば、結果は自ずとついてきます
 あなたにもその気持ちを持っていただきたくて、あえて哲学的(宗教的?)な話をしてみたのです。

<私の人生観>
私の人生観

私の受験時代
 自らにマインドコントロールをかけた私の受験勉強は、それはすさまじいものでした。「100%合格するんだ」との強い気持ちに満ちていましたから、死にもの狂いで勉強しました。
 しかし、学校に通うことはなく、独学の道を選択しました。理由は簡単で、当時は専門学校に通うという発想がなかったからです。今は、「学校に通える環境にあるのなら、絶対に通うべき」と考えています。
 鈴木君の薦めに従って勉強をはじめたのがもう1月でしたから、試験まであまり時間はありません(当時の試験は7月)。まず、書店で購入したテキストを隅から隅まで読み、すぐに過去問集にチャレンジしました。
 当然のことながら最初はまったく解けませんでしたが、「絶対に合格する」と決めていた私はへこたれませんでした。当時は営業をやっていた時期でしたから、あまり時間は取れません。通勤時間、昼休み時間などの細切れの時間を活用して、必死に取り組んだものです。
 3月に入る頃までには、過去問集を一通り終わらせ、記述式対策本も7割方覚えていました。
 しかし、この頃になると、言いようのない不安にさいなまれるようになりました。「他の受験生は専門学校に通って勉強している。自分は独学で本当にだいじょうぶだろうか」。
 4月から学校に通うことにしました。生まれてはじめて専門学校の門をたたいたのです。いろんな学校がありますが、書店で購入して勉強していたテキストを出版している学校を選びました。
 直前講座は、講義と答練、さらに厚生・労働白書講座がセットになったものでした。講義はそれなりに理解できたのですが、答練を受けてみてビックリ。まったく解けないのです。
 普通ならここで落ち込むところなのでしょうが、運命を信じていた私にとっては、この事実はむしろ発憤材料となりました。「実力は、なければつければよい」のですから、ますます勉強に拍車がかかったのです。その点だけでも、専門学校に通った価値があったと思っています。
 必死の勉強の甲斐あって、2回目の公開模試のときには、成績優秀者に名前をつらねることができました。

<私の受験勉強スケジュール>
私の受験勉強スケジュール

 本試験は、ぎりぎりながら見事に合格。官報に自分の名前を発見したときの感動を、私は今も忘れません。現在あなたが受験生であるならば、あの感動を何がなんでも味わっていただきたいと思います。

いよいよ独立
(1)全国社会保険労務士会連合会の研修
 もうしばらく、私自身の話をします。今度は試験合格後から、今日現在までの話です。
 ご存じだと思いますが、社労士試験に合格しただけでは社労士と名乗ることはできず、原則2年間の実務経験が必要です。実務経験とは、社労士事務所、健康保険組合、厚生年金基金勤務や、企業の人事、総務部での労働・社会保険手続業務などを指します。
 金融機関から経済研究所、工業製品メーカーと転職した私に、社労士の実務経験などあるはずもありません。私のような人のために、実務経験を代替するものとして、全国社会保険労務士会連合会の研修があります。

<社労士になるには>
社労士になるには

 11月に試験に合格すると(平成12年度からは12月)、黙っていても案内状が送られてきます。7万円(平成11年度)を払って申し込み、1月〜3月頃まで通信教育が行われます。内容は、労働・社会保険の手続き(書類の書き方)です。
 すべての指定書類を期日までに提出すると、スクーリングを受講する権利が与えられます。スクーリングは6月(平成12年度は10月)に行われ、4日間会場(私のときはホテル)に通い、労働・社会保険に関する講義を聴講します。講師は、労働・厚生省の官僚の方などです。
 このスクーリングを4日間休みなく出席すると、2年間の実務経験と同等とみなされて、登録が可能になるのです。
 私がスクーリングを終えて社労士として登録が可能になったのは、6月も末のことでした。7月のボーナスをもらったとたんに退職し、退職日の翌日に開業登録をしたのです。

(2)受験指導講師の話舞い込む
@講師をやらないか
 若干話が前後しますが、11月の合格発表の後12月頃に、通っていた専門学校から、「受験ガイダンスで、合格体験談を15分程話してくれないか」との話をいただきました。
 それまで人前で話したことなど一度もなかった私ですから(本当です)、若干の躊躇はありましたが、「何事も経験、何事もチャンス」と考え引き受けることにしました。実は当日はディズニーランドに遊びに行く予定があったのですが、遊びはキャンセルしてガイダンスに臨んだのです。
 生まれて初めて人前で話すのですから、アドリブなどきくわけもありません。やむなく原稿をこさえ、丸暗記していきました。15分間分の原稿丸暗記はつらかったのですが、他に方法がないので仕方がありませんでした。
 何とかガイダンスをこなした後、信じられない出来事が起きました。その学校から、「講師をやらないか」とのお誘いをいただいたのです。
 空前絶後、驚天動地とはこのことです。「まさか自分が!」との驚きと、「どうして自分なの?」との困惑が錯綜しました。
 しかし、とにもかくにも、こんなありがたい話はありません。夢に見るほどあこがれていた講師の仕事が、向こうから舞い込んで来たのですから。それに、連合会の研修が終わったらすぐに開業しようと決めていた私にとって、いくらからでも収入が確保できるとの魅力もありました。私は、話をお受けすることにしたのです。
 さあ、それからが大変です。なにせギリギリで試験に合格した私ですから、知識などなきに等しい状態です。毎日毎日、受験生時代の3倍は勉強しました。夜遅くまで、土日もなく参考書とにらめっこをしていたものです。家族に言わせると、あの頃の私は、「鬼気迫る形相をしていて、近づくのが怖かった」らしいです。
 講師デビューは、翌年の4月でした。担当講座は「直前対策講座」。私が受験時代に受講した講座です。月曜日から金曜日までは会社勤めをこなし、日曜日は1日2コマの講義という、二足のわらじ状態を経験しました。自分の時間などまったくなくてつらかったのですが、それ以上に充実感の方が強かった2カ月間でした。
 講義は、もちろんうまくできるわけはありませんでしたが、「自分自身がこの講座を受講して合格したんだ」との強烈な思いが受講生の方々に伝わったようです。アンケートの結果は上々でした。

A自分流の講義がうけた
 会社を辞めて開業届を出した直後から、今度は「入門講座」がはじまりました。
 普通なら「少しは慣れる」ところなのでしょうが、講師1年生の私には、余裕はまったくありませんでした。勉強(予習)時間はさらに増し、明け方近くまで机に向かっていることもしばしばでした。
 入門講座が終わった後は、そのまま本論編(基幹講座)へと突入しました。これがまた大変。それまでは総まとめ講座(直前対策講座)と入門講座しか担当していなくて、本格的な講座ははじめてです。本論編になると、細かい箇所も含めてすべて話さなければなりません。一番困ったのは、私自身が受験時代にこの講座を聴講しなかったことです。手本とするべきものが何もありませんから、手探り状態で自分流に作っていくしかなかったのです。一つだけ常に意識したのは、「受講生の方々に喜んでもらえる講義にしよう」です。
 あの半年間は言葉では言えないくらい大変でしたが、今にして思えば、「手探り状態で自分流」が、かえってよかったのかも知れません。型にはまらない私なりの独特の講義が展開できたと思います。
 おかげで、アンケートの結果はまた上々。この頃から、少しずつではありますが、自分の講義に自信が持てるようになってきました。
 それ以来6年間、受験講師の仕事を続けてきましたし、今後も続けていくつもりです。
 現在の私はいろいろな仕事をしていますが、受験指導はすべての業務の基礎となっています。受験指導をずっと続けてきたからこそ、現在の私があると言っても過言ではありません。
 次号は、引き続き私自身のことをお話しさせていただきますが、いずれ、「受験講師の仕事」についても考えてみたいと思っています。

その(3)に続く

現在の真島からちょっと補足
 「社労士の仕事が私にとっての天職である」、この気持ちは今も少しも変わっていません。自分が好きな仕事で社会貢献もでき、お金もある程度稼げるのですから、こんなすばらしいことはないでしょう。サラリーマン時代は2度も転職を経験し、一時は「自分はこらえ性のないダメな人間なんだろうか」と悩んだ時期もありましたが、今は、「そうではなく、仕事が自分に合っていなかっただけなのだ」と強く実感しています。社労士の仕事は、身体が続く限りずっと続けていくつもりです。

真島社労士塾トップ > 社労士開業への道 > 社労士開業への道(2) 真島社労士塾