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どうすれば成功できるのか
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こんにちは。社会保険労務士の真島と申します。前号まで「資格試験が10倍速くなる独学速読法」を連載していましたが、今号からは、「社労士開業への道」というテーマで、しばらく話をさせていただきます。
現在、私は社労士受験講座の講師をしたり、受験用図書を執筆したりしていますので(住宅新報社には本当にお世話になっています)、「真島の仕事は受験指導だけだ」と思っている方が多いようですが、そんなことはありません。一般読者向けにも何冊も本を書いていますし、新聞や雑誌に医療保険や年金の連載をしたり、講演や企業研修の講師を務めたりすることもあります。つまり、"いろんなことをやっている"人間なのです。受験指導は、数ある業務の一つに過ぎません。
今の私の身分は、「開業社労士」です。この連載では、開業社労士としての立場から、1、開業とはどういうことか、2、開業して食べていくにはどうすればよいか、といったことを中心に、話をさせていただくつもりです。
受験生の方々は、開業後の世界については、よくご存じないと思います。この連載では、事実をねじ曲げて甘いことを言うつもりはありませんし、また、必要以上に厳しいことを言うつもりもありません。事実をありのままにお伝えし、現実の中で、"どうすれば成功できるのか"の具体論を展開していくつもりです。
<この連載の趣旨>
1 社労士での開業について、現実をありのままに提示する。
2 どうすれば成功できるかの具体論を展開する。
3 抽象論や難しい話は置いておいて、実際的に飯が食え、楽しい人生を送る方法を示す。
この連載を執筆する資格
ここで、現在の私について、もう少し詳しく話しましょう。なぜかと言うと、私がこの連載を執筆する資格がある人間かどうかを、あなたに見極めていただきたいからです。
「社労士開業への道」と大上段に振りかぶったタイトルをつけるからには、開業して成功している人間だけに、執筆の権利があるはずです。そこで、現在の私をありのままに披露しますので、あなた自身で、「真島がこの連載を執筆する権利があるかどうか」をご判断ください。「権利がある」とお考えいただけた方には、連載を読み進めていただきたいですし、そうでない方は、読むだけ無駄というものです。
それではお話ししましょう。多少自慢めいた話になってしまうかも知れませんが、私としては自慢のつもりは決してありません。事実をありのままにお伝えしようと思うだけですので、少々我慢してつき合ってください。
「真島は20年も社労士をやっている」と思っている受験生の方も多いようですが、実はまだ6年めです。6年めといえば、会社では新入社員に毛が生えた程度であって、まだ上司に怒られることも少なくないでしょう。
しかし、私の6年間は、自分自身満足のいくものでした。出版した書籍の数は20冊近くに上りますし、受験指導でも「人気講師」になることができました。最近では、講演や企業研修、雑誌・新聞などの記事の執筆依頼などが、ひっきりなしに舞い込んできます。年収も、6年前に理想として予想した「6年後の年収」の数倍もあります。
当然、私の日常はとても忙しいです。今こうしてこの原稿を書いていても、実は他に連載2本と書籍1冊の締切りが間近に迫っていて、気が気ではありません(ちなみにこの原稿は、締切日当日に書いています)。
労働時間は、サラリーマン時代の少なくとも2倍の長さです。「それは労働基準法違反じゃないか」とおっしゃる受験生の方もいらっしゃるかもしれませんが、私の事務所は個人事務所なので、労働基準法は適用されないのです。常日頃、講義で労働基準法を語っておきながら、自分自身はその保護を受けられないのですから、何とも因果な商売です。ついでに申し上げておくと、労災保険、雇用保険、健康保険、厚生年金保険なども、日頃語っておきながら、自分は加入できません(愚痴と思ってください)。
では、そんな忙しい毎日はつらいのかと言うと、実はまったく逆で、私は毎日が楽しくて仕方がありません。サラリーマン時代のように会社に強制されて嫌々というのではなく、自分が選んだ仕事を自分のためにやっているのだからです。締切りが迫って深夜にパソコンに向かって原稿を書いていても(実は今も夜中の2時です)、ちっとも苦にならないどころか、ふつふつと内からわき上がる喜びすら覚えるのです。
<現在の私の仕事>
| 受験指導(講師) |
一般向けの書籍執筆 |
| 受験本執筆 |
講演 |
| 新聞・雑誌の連載 |
企業研修 |
社労士資格との出会い
いかがでしょうか。あなたは私を、「成功した人間」と認めていただけたでしょうか。それであれば、これ以降もしばらくの間、私におつき合いください。
最初に、私と社労士資格との出合いから話しましょう。それには、大学卒業当時までさかのぼらなくてはなりません。
1)大学卒業後、外資系の金融機関へ
大学を卒業した私は、外資系の金融機関に就職しました。配属された部署は「不動産担保ローン課」。不動産を担保に取り、融資を行う業務です。当時は、金融機関が"花形産業"であった時代ですから、ある種の優越感も持つことができ、仕事は楽しくこなしていました。
しかし、2年も経って仕事に慣れてくると、「もっと違った仕事・創造的な仕事がしたい」と考えるようになりました。
2)経済研究所へ転職・鈴木君との出会い
意を決して転職したのが、経済研究所でした。仕事は、企業に取材して得た情報を本にまとめ出版するというもの。知的な仕事で面白くもあり、それなりに楽しい毎日を過ごしていました。
その経済研究所の勤務も2年を数えた頃、鈴木君(仮名)が中途入社してきて、私と同じ部署に配属されました。この鈴木君が、後日、私の人生を変える立役者となります。
彼は私より一つ年下の同年輩です(20歳を過ぎれば、1つや2つの差は差ではないですよね)。私たちは、机を並べて仕事をするうちに、すっかり仲良くなりました。
彼の経歴を聞いたとき、私は2つの大きな驚きを覚えました。1つは、彼は大学時代にすでに、社労士、行政書士、宅建の資格を取得していたことでした。大学時代はアルバイトに明け暮れ、たまにお金が貯まると遊ぶことしか考えていなかった私にすれば、それは信じがたいことでした。実は、私が社労士という資格の存在を知ったのは、鈴木君に出会ったこのときなのです。それまで28年間生きてきて、社労士なんて見たことも聞いたこともなかったのです。
2つ目は、彼は30歳になったときに社労士で独立することをすでに決めていて、そのために大学を卒業してから半年に一度転職している、ことでした(一度もボーナスをもらったことがないというのは、ちょっと笑えましたが)。
それは、彼なりのポリシーに基づいた行動でした。彼の論理はこうです。「1つの会社にずっといたのでは、世間知らずの視野の狭い人間になってしまう。社労士として開業して成功するには、いろいろな会社を経験して、幅の広い人間になっておく必要がある」と。
つまり彼は、30歳になったときに社労士として開業するために、20代を勉強期間と位置づけている、ということなのです。
<鈴木君的考え方>
| 30歳になったら、社労士で独立する。 |
| ↓ |
| そのために、20代のうちはどんどん転職する |
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「世の中にこんな人間がいるのか!」ずっと会社人間として生きていく人生しか考えたことがなかった私は、彼のようなタイプの人間に会うのは初めてでした。カルチャーショックという言葉が生やさしく感じるほど、私は大きなショックを受けたのです。
しかし、長年培った人間の常識というものは、ちょっとやそっとでは変わらないもの。それほどのショックを受けた私でしたが、だからと言って、自分も彼と同じ道を歩もうとは、その時点では考えませんでした。社労士という資格も、私の脳裏に深く刻まれることはなかったのです。
そして彼は、彼の予定通りにその経済研究所も半年で辞めていき、その後彼と私は何となく疎遠になってしまったのです。
3)工業製品のメーカーへ転職
私は、経済研究所に3年間勤めました。3年も勤めると仕事にも慣れ、慣れた頃に飽きがきましたので、再び転職しました。今度は工業製品のメーカーです。最初は新事業開発部に配属されましたが、1年後に営業部に転属となりました。
「また、まったく畑違いの業種に転職したものだな」とお感じでしょうが、その頃の私はひょっとしたら、無意識のうちに鈴木君の影響を受けていたのかも知れません。
しかし、この会社が失敗でした。この会社の名誉の問題もありますので詳述は避けますが、とにかく仕事が私に合わなかったのです。もちろん、やるからには何でも一生懸命やるのが私のモットーなので、それなりの営業成績は上げていました。しかし、成績の問題ではなく、仕事の内容そのものにどうしても興味が持てないのです。
私は、うつうつとした毎日を過ごすようになりました。年も30歳を過ぎましたので、「このままでいいのだろうか。このままこの会社で一生を終えていいものだろうか」などと考えることが多くなりました。
気分が暗くなると、人間ろくなことを考えないもので、その頃から、こんな気持ちも芽生えてきました。
「20代はずっと人に使われて会社のために働いてきたけれど、人に使われる人生で本当にいいのだろうか。いくら働いたって、稼いだ金はぜんぶ会社のふところに入るばかりだ。それに、会社の中でいくら偉くなったって、会社がつぶれたらそれまでだしな」。
かと言って、一人で商売を始める才覚もお金もありませんでしたから、悶々とした気持ちで、何となく毎日を過ごしていたのです。
4)鈴木君からの封書が届く
そんなある日のことでした。私の人生を変えることになる封書が届いたのです。差出人は、鈴木君でした。封を切って中を見ると、何と「開業の案内状」でした。そうです、彼は公約通り、30歳になったときに社労士での開業を果たしたのです。
案内状に、彼の直筆で一言、「お暇なときに遊びに来てください」の文字が書かれてありました。日々の仕事に疲れ果てていた私は、「開業のお祝いをするんだ」との名目で、実は刺激を求めて、彼の事務所まで足を運んだのです。
運命の瞬間は、彼の事務所のドアが開いて、彼との再会を果たしたその時に訪れました。
彼の目が輝いていたのです!
あの目を何と表現したらいいのでしょうか。将来の希望に燃え、人生が楽しくてしょうがないとの溢れるほどの彼の気持ちが、目の輝きに凝縮されていたのです。私は、一瞬その場に立ち尽くし言葉を失ったことを、昨日のようにはっきりと覚えています。
「目は口ほどにものを言う」といいますが、彼の目のきらめきは、百万語の言葉を並べられるよりも鮮明に、私にすべてを教えてくれました。
応接室で向き合い、彼は熱く語ってくれました。予定通り30歳で独立できたこと、自分の未来を自分で作っていけることに大きな喜びを感じていること、開業前からすでに受験予備校での講師・雑誌の記事執筆などの仕事があり、忙しい日々を送っていること、などをです。
彼の事務所を出たときの私は、もう決めていました。「彼と同じ道を歩もう」と。そのとき、私の中で、彼は世界中で最も尊敬できる人物となり、同時に永遠のライバルともなったのです。
少し話が逸れますが、私は、人間の価値と年齢は何の関係もないと思っています。たとえ自分よりかなり年下でも、すごい人間は素直にすごいと思いますし尊敬もします。彼は私より1つ年下ですが、そんなことはどうでもいいことなのです。彼は自分ができないことをやっている、いやもっと正確に言えば、自分と次元の違う世界で生きている人間なのです。私は彼を心から尊敬してやみません。その気持ちは今でも何ら変わることがありませんし、一生変わりようもないものです。
それから私は、社労士試験に取り組みました。彼は、忙しい身であるにもかかわらず、私の受験勉強の手助けにも労を惜しみませんでした。社労士の仕事について詳しく教えてくれ、受験勉強の方法までも伝授してくれました。私は、彼のアドバイスに従い、書店で受験本を購入して勉強を始めたのです。
「人は、一生のうちに、大きなチャンスが最低2度は訪れる」といいます。私にとって、彼との出会いは、間違いなく2度のチャンスのうちの1つでした。彼のおかげで、私の人生は大きな転換点を迎えたのです。
私の受験勉強時代のことは、次号でお話しすることにしましょう。
その(2)に続く
現在の真島からちょっと補足
年齢に加えて、学歴も関係ないと思います。一流大学を出ても知恵がない人は多いですし(知識はあるんですけどね)、一方学歴がなくても優秀な人間はいくらでもいます。年齢や学歴で他人を図る人こそが価値のない人間である、と私は思います。
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