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<真島について>
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クリックすると、大きな画像 で開きます(なぜ?σ(^_^;))。 |
実物はお見せするような代物ではありませんので、イラストで失礼します(自分でマウスで書きました。絵心はないし、マウスだからうまく書けないしで、ふー、大変でした)。 |
そもそも真島伸一郎(まじま・しんいちろう)とは、何者なのでしょうか。自己紹介をさせて頂きます。
1、出身地
出身は鹿児島県奄美大島。と聞いてピンと来ない方も、「歌手の元ちとせと同じ島」だと言えばわかっていただけるでしょうか。おっと、「人口は何百人くらいなの?」とか、「周囲を歩いて何分くらいなの?」なんていう質問をしないでくださいね。あなたが想像するより、ずっと大きな島なのですよ。
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| 奄美大島の上をクリックすると大きな地図が見れます(奄美けんむんのすむ島より)。 奄美の海の写真はこちらから。 |
| 〜奄美大島〜(奄美便りよりhttp://www.amami.com/) |
| 鹿児島から南へ380Km、沖縄本島から北へ300Kmの洋上に浮かぶ年平均気温21.3度の亜熱帯気候の島です。一般に奄美大島の南に接する加計呂麻島(かけろまじま)・請島(うけじま)・与路島(よろじま)を含めて奄美大島と呼びます。島の周囲は405Kmと日本で沖縄本島、佐渡島についで3番目に大きな島です。 その昔、外国船が珊瑚礁に囲まれた美しく輝くこの島をサンタマリア島と名付けたと言われています。約100万年前、大陸から陸続きの状態から、地殻変動により、奄美を含める琉球列島が分散しました。個々の島々に残った動植物が独自に進化し固有の生態系を現在でも留めています。また、歴史・文化的にも琉球と大和の両方の影響が今なお残る島です。 |
人口も、13〜14万人はいます。ちなみに私が生まれ育った名瀬市は、奄美群島唯一の市で、人口は約4万人です。高校を卒業するまで奄美で過ごしました。
奄美には、本場奄美大島紬という伝統産業があります。奄美にしかない泥で染め上げ、織り工が一本一本織機で織り上げた最高級の絹織物で、買うと数十万円から数百万円もします。
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| 河野絹織物有限会社HPより (画像をクリックすると大きな画像でご覧頂けます。) |
私の母は、この奄美大島紬の織り工でした(実は父も染めの職人でした)。若い頃からつい3〜4年前までやっていましたから、キャリアは40〜50年にも及びます。腕はトップクラスで、ときどき京都辺りで開催される「なんとか芸術祭」にも出品していました。
下の写真は、母が織った大島紬のハギレで作ったネクタイです。私は20本程度持っていますが、うち5本です。奄美のお土産店に行けば5千円程度で一見似たようなものが売っていますが、それらはあまり上手でない織り工さんが織ったもの。私の母レベルになれば安く見積もっても数万円はするでしょうし、そもそもめったに手に入りません。母が織った紬で作ったネクタイコレクションは、私の宝物なのです。
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| 母が織った大島紬のネクタイ | 母が作った刺繍 | |
| どちらも、画像をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。 | ||
もう一つの写真は、最近母が作った刺繍です。大島紬の織り工をやめてから母は、ぬいぐるみ作りや刺繍に精を出しています。刺繍ははじめて間もないのですが、何せもともと手先が異様に器用な人ですので、こんなに立派なものを作ってしまいました。東京の私の家の1階の壁に掛かっています。
2、上京・学生時代・就職
高校を卒業後東京に出て来ました。いろいろ紆余曲折がありましたが、数年後には立教大学経済学部を卒業、外資系の金融機関に就職しました。そこは2年で辞め、その後は、経済研究所、工業製品のメーカー勤務を経験しました。
3、社労士へ
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